今年もよろしくお願いします。

今年もよろしくお願いします。
皆さんにとって良い年になりますように。

あっという間に前回の記事からまた時間がたってしまいましたm(_ _)m
パソコンが古く働くのが遅いので、それを理由になんとなく更新が滞ってしまいました。

わたしは今月は赤ちゃんグッズをミシンでひたすら作っています。
昨年中には長肌着・短肌着・コンビ肌着数着ずつ、ヨダレかけ(今はおしゃれなことにスタイと言うんですね)、オムツカバー、おむつ(さらしを切って縫うだけですが)、スリーパー、ガラガラを作りました。
今年に入ってサッキングパッド、おしっこキャップ(男の子なので)、セレモニードレス、ケープ、布団カバーを作りました。

作ったもののうちいくつかは三冊のソーイング本を見て作りました。

洗礼服はこちらの本を見て作りました。お宮参りのドレスって自分の気に入った既製品は2万円近くして、買うのは無理って思いました。 
自分で作ってみたら五千円以内で作れました。
他に服やスリーパー、ケープなども作りました。
男の子の服の作り方も載っていて助かります。


肌着やおむつカバーはこちらを参考に作りました。
タイトルに「らくらく作れる」と書かれていますが、わたしにとっては肌着の作り方は慣れるまで楽じゃありませんでした。
被服科出身の人にとったら楽々なのかな。
二枚目以降は要領を得て作れましたが。
自分の服しか作ったことがなかったので赤ちゃんの服を初めて作るときに作り方の違いに戸惑いました。
上で紹介した本の肌着は作りやすい反面、布が少し多めに必要です。
こちらの本の肌着の作り方のほうが型紙の置き方を工夫すれば布が少なくて済みます。
その代りバイアステープが必要になってきます。
(わたしは布が余るのが好きじゃないので、肌着はこちらのほうのやり方でしました。)
トレーニングパンツの作り方も載っているので、子どもが成長したら作ろうと思います。


肌着は載っていないのですが、服を作りたいときにいいと思います。
わたしはカバーオールを作りました。
今後レッグウォーマーと外に履いていけるズボンを作ろうと思います。


今までは教会のおばあさんからもらったお古のコンパクトミシンを使っていましたが、先月ついに壊れてしまいました。
なので生まれて初めてミシンを購入しました
JUKIのミシンを買いましたが、フトコロが広く(自分の服を縫いたいから)、薄い生地も(子どもの洗礼服作りでレースを使いたかったから)、厚い生地も縫えることと、縫い幅を調整できることを重視しました。
子どもの持ち物に名前を書くために刺しゅう機能がついたミシンがいいよというアドバイスももらいましたが、ネームタグでもつければいいやと思って、刺しゅう機能はなしでいいやと思いました。

今年も教会での演奏会を計画中です。随時お知らせを載せますのでよろしくお願いします。

マイ ガーデナー My Gardener

紡木たくの、マンガ?かと思ったら、絵本のような感じでした。
読みやすい長さの文章がずっと続き、挿絵のような感じで絵が続きます。

主人公さなのおじいちゃんはぶどう園を持っています。
おじいちゃんは、ぶどうの幹は枝がいっぱいある割に細いことの理由を説明します。

聖書では、イエスをぶどうの木に例えられますが、なぜ他の木ではなく、ぶどうの木なのかに気づかされます。

そのおじいちゃんのぶどう園の中は幸せなのに、園の外では人の間に起こる行き違い、虐待など、悲しいことが起こります。
一度事故で切り倒されたぶどうの木はまた成長するのですが、さなにとっての逃げ場、「命の木」になります。(エデンの園みたいですね。)

さなはユキに連れられて、親からひどい目にあった子たちの多い児童養護施設で食事をします。
その時の聖書朗読でキリストの十字架上の祈り「父よ、彼らをおゆるしください。自分が 何をしているのか 知らないのです。」が読まれ、さらに「ぼくたちの お父さんやお母さんを たすけてください。」と祈られます。
さなはここを、外がひどくても中に入ると静かで守られている、ぶどう園のようだと感じます。
神さまというガーデナー(庭師)が司るぶどう園。

「(神様は)わるい子のために、自分をささげるために 来たらしい」
「たすけたかったんだ きみをたすけに 自分をささげてまでも」
「いなくてもいー人なんて 神さまには ひとりもいないんだ」

こんなメッセージが伝わる本です。



最近知り合いの中で話題の本たち

わたしの知り合いの音楽家の中に、ちょうど似たようなケースで、煩わしいことに巻き込まれている人がいます。
彼らが紹介していた本ですが、わたしも似たような人に出会ってしまいました。
わたしの周りにも、サイコパスの傾向がある人というか、人の痛みを感じず、特定の人を攻撃しまくったり、自分が仕事ができると周りから思われたいがために、上の人に事実を曲げて伝える人がいました。
特徴的なのは、「わたしはあなたのために言っている。言われなくなったらあなたはおしまいなのよ。」と、むしろ親切の気持ちで人を攻撃すること。でも言っている内容を考えてみると、実は本人の方ができていなかったりしますし(当然自分が正しいと思い込んでいるので人にこれだけ攻撃できるのす。)、自分が仲間と認めている人には「わたしはこの人のためを思って言っているのに、この人はわかってくれないのよ。」と同情を引こうとします。ときには被害者面します。
普通は人を傷つけたくないと思うものですが、こういう人はそういう気持ちがないのです。
「とにかくけちをつけてきます。攻撃するためのあら探しをします。自分が誰よりも知っていて、誰よりもうまくやれるということを誇示したいかのようである。」(「他人を~」から抜粋。)
こういう人は自己愛や支配欲が強く、人の幸せを壊したいと思っていることが多いようです。
つまりこういう人は、不幸な日々、不満のある日々を送っているのです。

これは音楽家の生き方にも関係しますが、アマチュアは相手と戦って白黒つけて勝とうとしますが、プロはそんなことに労力を使うのはバカらしいということを知っているので、戦いを避けようとします 。

残念なのは、人を幸せにすることを目標としないといけない音楽家にもこういう人がいるという事実。
また、子育て中で、人間を育てる身でありながら、人のあら探しばかりする人がいるという事実。
(人を決して褒めず、あら探しばかりする上司は多いようで、部下が自分の失敗を認められないような重苦しい雰囲気になります。また部下たちがお互い話し合ってやりやすいような仕事の方法を見つけても、こういう上司はフツーに全否定します。自分のやり方にそぐわないと万能感が否定された気になるからです。こういう上司は自分の周りにイエスマンだけを置きます。自分が無能な人の分も働くことで自分の有能性を見せることができるから。)

こういう人がいる職場では、有能な人は自分から去ります。
こういう人は変えられないので、できることなら距離を取るしかないのです。

 


もっと教会を行きやすくする本

この本は、未信者の方で、いろんな教会に行くことが好きな人によって書かれました。

長く教会にいると当たり前になってしまっている事でも、新来者の方にとっては意味不明だったり、疎外感を与えてしまっていることがあると思うんですが、こちらが当然と思っている事でも逆に伝道の邪魔になっているんです。
具体的にどんなことが新来者にとっては違和感を覚えるのか、教会はそれをどのように変えていくと良いのかということに気づかせてくれる本です。



聖書辞典―新共同訳聖書

聖書を読んでいてわからない単語や表現を調べることができます。
ハンディな辞書で、キリスト教用語だけでなく、文化・社会についても役立ちます。