スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

もう一度考えてみたいこと

2011年5月に「信仰が技術か」というタイトルで、奏楽者にとって必要なのは?ということを書きました。
http://organistin.blog60.fc2.com/blog-entry-133.html

この記事に関して、こちらが予想していた以上の反響があり、読んでくださった方、メッセージくださった方、本当にありがとうございました。

先月もこの記事についてメッセージをいただきました。

メッセージくださった方は長野の教会に通っていらっしゃいます。
その教会では、レントの時期にベートーヴェンの悲愴をドソミソの伴奏で弾いてしまう奏楽者がいるそうです
その奏楽者は教会付属幼稚園の先生(未信者)で、聖書の学びは拒否されるんだそうです。
奏楽するときの服装もトレーナー。
牧師や司式者がきちんとした服を着ているのに??

教会の現実の問題です。奏楽者にはいろんなレベルの方がいるのです。
レベルと言っても、技術的なレベルもそうですし、教会で奏楽するということに関してどの程度理解できるかと言うレベルもです。

もしかして、その幼稚園の先生は、嫌々奏楽をしていらっしゃるのかな?
だとしたら残念です。

未信者で奏楽される場合は、頼まれて奏楽する場合と、教会でオルガンを弾くことにあこがれて自発的に奏楽する場合があると思いますが、どちらもキリスト教の知識と理解なしにはできないことです。

また、信者の奏楽者で高齢の方の中には「自分のボケ防止のために指を動かしたいから奏楽している」と公言して奏楽する方もいます。
ボケ防止のためにやっているため、とても好き勝手なテンポで、讃美歌伴奏途中で止まることもしょっちゅうです。
奏楽は、自分のボケ防止のためにあるのではありません。

未信者の奏楽者であっても信者の奏楽者であっても、神様にささげる礼拝であるということをもう一度考えてみませんか?

以前あるテレビ番組で、「今でしょ!」の林修先生が、中卒や高校中退の若い人たちに授業をするというのを観たことがありました。
林先生は、失敗する原因は主に「情報不足」「慢心」「思い込み」の三つだとおっしゃっていました。
奏楽でも、長く続けていると慢心しますし、特に未信者の場合はキリスト教に関する情報不足で、間違った奏楽曲を選んでしまうこともあります。(信者であっても奏楽曲に関する情報不足になることはありますね。)
レントはキリストの受難だから、暗い曲を弾けばいいという思い込みもあります。
わたし自身も気を付けなければならないことです。

神様にささげる礼拝ですから、さらに良いものにするためにはどうすると良いのか?を考え続けていきたいものです。

COMMENTS

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。