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オルガンの音量

11月からずっと忙しく、今やっと時間ができました。
と言っても、まだやることが次から次へと待っているのですが。
そうこうするうちに、生徒からいろいろ質問をいただき、ひとつブログに書くことが出てきました。

それは「礼拝の時にオルガンの音が大きい(うるさい)と言われてしまいました」「オルガンの音量が小さくて荘厳な雰囲気が出ていないと言われてしまいました」
という相談です。

オルガンの音量についてはこれと決まった法則がないというか、ケースバイケースなのでこちらも伝えにくいものがあります。
それを前提として書くしかないのですが・・・

わたしの狭い経験からは、礼拝奏楽では、オルガンの音量が中くらい(ちょうどよい)から、小さくて鍵盤を弾く機会的な音が聞こえてしまうような程度までが多いようです。

ある教会では音量が確かに大きかったのですが、音量が大きいこと自体は全然不快なことではないと思います。
音量が大きく教会全体を包むような感じだと、素敵ですよね。

なぜ音量が小さい教会が多いのか?について、奏楽者側の意見から考えてみたいと思います。
レッスンを始めて数年になりますが、何人もの奏楽者から何度も聞いた言葉:
「わたしは下手で、人に聞かれたくないので小さい音量にしています。」
「わたしは下手なので、できれば奏楽はやりたくないんです。」

こうおっしゃる方が意外と多くて、寂しい気持ちになってしまいます
せっかく礼拝で奉仕する機会が、しかもみんながみんなできるような奉仕ではない奉仕にあたる機会なのに、聴かれたくないなんて・・・と思ってしまうのです。
でも聴かれたくないとおっしゃるお気持ちはとてもよくわかるので、自分の演奏を隠したい気持ちと、奏楽者としてしっかり弾くことのバランスが難しいですよね。

奏楽者みんなが音楽大学を卒業したわけではないし、人前で弾くことに慣れているわけではない。
音大に行って何度も人前で弾く機会があったのに、そんな人でも(私も)人前で弾くのが全く平気、というわけじゃないことのほうが多いです。

なので、もし少しでもこう考えてもらえたら・・・ということを書きたいと思います。
それは、「自分の演奏を聴いてもらおう、と考えるのではなく、自分が何を伝えたいかということをはっきりさせる」ということです。
自分の演奏がどう聞かれるか?に集中してしまうと、人の目を気にしてしまって、自分を見失ってしまいます。
でもそうではなくて、自分はなぜこの曲を選んだのか?奏楽曲をこの礼拝とどう関連させたいか、何をみんなに伝えたいか?と、自分からの発信に集中するのです。
音量が小さいと、そもそもちゃんと聞こえないので、伝えるのは難しいですね。
大事な話がある、でも小声で聞こえない、というのと同じです。

逆に、大きな音量自体は不快ではないが、弾き間違えが多い時に不快になるということがあります。

ある教会の礼拝に出席した時に、メンデルスゾーンのソナタの1部分を弾いている奏楽者がいました。
でもペダルも間違えまくりで、しかも大音量で弾いていたので、間違えて止まって弾きなおして・・・間違えても続けることが大事なのですが、何度も弾きなおしていたので・・・

そこで大事なのは、「弾きたい曲」と「弾ける曲」は違うということです。
そのために、弾ける曲を礼拝で弾くということです。
もちろん、弾きたくて弾ける曲を弾くのがベストですが。

こういうことになっては礼拝の雰囲気が壊されてしまいますので(間違えるな、というわけでは決してありません。人である限り完璧、ということの方が難しい。)、弾きたい曲ではなく、弾ける曲を選んだ方が良いです。

「家で練習の時は弾けるんだけど、礼拝で弾くと間違えちゃう」というのもよく聞きます。
オルガンは規格がなく、1台1台違う楽器で、同じ名前のストップでも、出てくる音の雰囲気が違うことがあります。
ペダルも放射状のものがあれば平行ペダルもありますね。
これはもう慣れしかありません。
出来れば礼拝よりも、1日でも2日でも前の日に、教会のオルガンで礼拝で弾く曲を一通り弾く練習をしてみましょう。
大事なのは、「当日のオルガンで一通り弾けるか確認する」ことです。
1曲1曲は弾けます、ではなく、礼拝で弾く曲すべて続けて弾く、ということです。
1曲は弾けても、続けて弾くと疲れが出てきて間違えることもありますね。
それに慣れるために、全曲(前奏から賛美歌、後奏まで)弾けるようになるまで弾くということです。

いつも礼拝で小さい音量で弾いていると、信徒の人も、小さい音量だけに慣れてしまって、荘厳な曲の時に大きめの音量で弾かれるのに慣れなくて、奏楽者に「うるさい」と言ってしまうことがあります。

ある教会では、素敵なオルガンがあるのに大きな音量に慣れていませんでした。
でも外部のオルガニストがそこで演奏会をやって、色んな曲を弾きました。
すると、「オルガンはそういう風に鳴るんだ」というのがわかり、大きな音量の曲も受け入れられるようになりました。
こんなエピソードもありますので、信徒の音楽に対する考えは奏楽者次第、といえる部分もあるわけです。

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