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礼拝堂で礼拝以外のことをしてはならない?~教会でのオルガンレッスン~

今回は教会(礼拝堂)という場所を使ってのオルガンレッスン許可の是非について書きたいと思います。

今回のテーマは「礼拝堂で礼拝以外のことをしてはならない?~教会でのオルガンレッスン~」です。

なぜこのテーマを取り上げたのかということですが、ある教会で、その教会所属のオルガニストが「礼拝堂のオルガンを借りてオルガンレッスンをしたい」と申し出たことがありました。
都合によって今までのレッスン場(教会ではない)が使えなくなるので、会場を教会に移したいということで、教会にそのような申し出をしました。

するとその教会の役員会(長老会)で話し合われ、結果は「礼拝堂でオルガンのレッスンをしてはいけない」ということでした。
理由としては、「オルガンを含めた会場使用は礼拝奉仕、並びにそのための奏楽者養成のため」ということで個人レッスンでは礼拝堂の貸し出しはしないということです。

根底にある考えとしては、礼拝堂は礼拝のために使用し、そのほかのことは集会室でしましょう、ということだったそうです。

しかし、「礼拝のための奏楽者養成のため」という線引きでオルガンの使用が認められる・認められないというのは残念です。

そのオルガニストが他の場所で教える生徒の多くは、他教会の奏楽者で、数名が未信者でした。
どの教会の奏楽者であれ、オルガンのレッスンをすることはキリスト教会全体の奏楽者養成の為になるはずです。
また未信者へのレッスンですが、オルガンに興味のある未信者は多く、その人たちへレッスンをすることによって教会を身近に感じてもらうきっかけにも成り得ます。

そもそもオルガンは「教会の楽器」ですので、オルガンを習いたいと思った時に教会以外の場所では習えないものなのです。

キリスト教とオルガン音楽は切っても切れない関係ですので、オルガンを教会以外の場所で習うのが普通、という状況の方が普通ではないのです。
キリスト教とその芸術を分けて考えることはできないと思います。

スイスの音楽大学のオルガン科に所属しても、レッスンは教会です。音大の中ではありませんでした。
(音大の中にもオルガンがありますが。)
音大にいる人たちは奏楽者になるのが目標ではなく演奏家を目指す人が多いのですが(奏楽ができるのは当然なのでさらに演奏家を目指すということです。)、そういう人たちのレッスンを教会の場所を借りてやるのです。
しかしオルガンがキリスト教会にあることが当たり前と考えるなら、これは何もおかしなことではありません。
ですから、礼拝堂が礼拝奏楽者養成のためでしか使えないというのは、その教会独自の考え方であり、キリスト教とは全く関係のない考え方だと言えます。

教会の礼拝堂が「奏楽者養成のため」だけでなく「オルガンを含め、キリスト教文化を総合的に伝承するため」にも使用許可が下りることを望みます。

コメントが追記されました。

COMMENTS

No title

残念ですね。教会音楽を演奏する、練習するというのはまたとない素晴らしい宣教の機会であるというのに。教会自らその可能性を閉じてしまっているのはどうかなと思います。どうも日本の教会は外界から自らをガードしようとして、秘密結社的になっているのかもしれません。その辺りに「伝道の不振」の原因もあるように思われます。色んな形で教会を「開いて」いくことが求められているように思いますね。しかしそれもまた牧師の姿勢ひとつのようにも思いますが・・・

kanegonさま

コメントありがとうございますv-14

教会自ら可能性を閉じてしまうことは、それを決めた人たちは気づいていませんよね。
むしろ神のご意志を伺った結果そういう結論に至ったと思っていると思います。
教会のことを決める長老会(役員会)は当然お祈りで始めますし、どのようなことを祈るかというと、神様のご意志が示されますように、と祈るのだと思います。
その結果がこういうことなので、まさか自分たちの非開放的な考えが教会を閉じてしまっているとは、これからもずっと気づかないと思います。
これではすでに教会にいる若者がのびのびとは育ちませんし、新しい風が入るのも難しいでしょう。
もちろんすべての教会がこうなのではなくほんの一部の教会がこうなのでしょうが・・・
高齢化する教会では、長老たちは自分たちが死んだあとの教会の存在を心配していますが、その本人たちが門戸を閉ざす原因となっていないか、長老(役員)は常に反省の姿勢が大切ですね。

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No title

はじめまして 興味深く読みました。
通ってる教会は主任のオルガニストはいますが 他の方は流動的です。
若い方は進学、就職で離れていくのに 
奏楽者を養成する意識は低いと感じます。保守的というか閉鎖的というか。
養成しなくても 自然に与えられる所も神様の御心と感じますが・・
オルガンに興味を持って 学ぶ機会があったら と思います。
私は音楽を専門に学んだ訳でなく素人なので 礼拝音楽を学ぶ機会が欲しいと
司祭に話ました。司祭はわかってくれましたが
主任の方は プライドがあるのか 良い返事はなかったです。
でも教えてくれる訳でもなく。外にも中にも 新しい風は必要ですね。 
 


オルガンに興味を持つ人に 学ぶ機会がなければ 次の世代に引き継げませんね。

Tさんへ

はじめまして。書き込みありがとうございます。

>オルガンが、遠ざかっていた教会へ私を呼び戻してくれたのだと思います。いまでは、定期的にレッスンに通い。できれば、定年後、オルガン奉仕ができるくらいに上達したいと考えるようになりました。

そうですね、信仰そのものだけを見るのではなく、音楽も、見た目の形の違う信仰だと思いますので、音楽によって教会に来るようになる、というのは全くあって良いはずです。

日本ではキリスト教の歴史が浅いので、教会がその地域のコミュニティの役割を担う、という意識が全く無いような気がします。ヨーロッパではコミュニティのひとつになっていますので、バザーを開けば大勢の人が来てくれるし、演奏会やオルガンレッスンなどにも教会が開かれて、地域の人が来てくれます。
それに反して日本では「わたしの教会」「わたしたち信者の教会」という、狭い世界で終わってしまって、それではいけないんだよ、だれも新しい人は来ないよ、という問題意識が少ないようです。
最近いくつかの教会でそのことに気づいて、開かれた教会が育ってきてはいるようですが・・・

日本では自分の家の近くに教会があるなんていうことを知らない人がかなり多いのですが、教会側は「信仰を広めたい、だから礼拝に来てもらいたい」という思考回路になってしまいます。
でも、それ以前に、教会があるということさえ知られていないのだから、いきなり礼拝に来い、というのも無理な話で、そこになかなか気づかないようです。
そのために、礼拝に来ることを最初から目的にせずに、まずは教会はどんなところなのか来てもらって知ってもらう、というところから始めないと、いきなりは来られないですよね。

まるもさん

> はじめまして 興味深く読みました。

はじめまして、コメントありがとうございます。

> 通ってる教会は主任のオルガニストはいますが 他の方は流動的です。
> 若い方は進学、就職で離れていくのに 
> 奏楽者を養成する意識は低いと感じます。保守的というか閉鎖的というか。

そこの部分は本当に意識の違いでしょうね。
多くの場合、奏楽者たちは、奏楽はもちろん自分たちに関係のある話ですので、次世代の育成について考えるわけですが、残念なことにわずかばかりの(?)牧師・司祭や、長老たちのような、教会の監督の地位にある人たちがそこがわかっていないことが多いようです。
奏楽を始めたばかりの方や仕事や学業で忙しい若い方は、時間的な問題だけでなく、奏楽の任が自分にしっくりと来ていないこともありますから、いつ離れていってもおかしくないと思いますが、なかなか奏楽者以外の人がそこを考えてくれることは少ないようです。

> 私は音楽を専門に学んだ訳でなく素人なので 礼拝音楽を学ぶ機会が欲しいと
> 司祭に話ました。司祭はわかってくれましたが
> 主任の方は プライドがあるのか 良い返事はなかったです。
> でも教えてくれる訳でもなく。外にも中にも 新しい風は必要ですね。 

日本は、音楽と宗教を切り離して教育をしてきたので(西洋の文化に倣え、でもキリスト教とつながっているのは都合が悪い)、残念なことにキリスト教関係者でも音楽をなんとなく別物ととらえている人が多いようです。
早く「教会音楽はキリスト教教育そのもの」という考えが広まることを祈っています。
教会音楽のタイトルを見れば、礼拝の形式や教会暦について学べます。
教会音楽の歌詞を読めば、キリスト教教義について理解が深まります。

> オルガンに興味を持つ人に 学ぶ機会がなければ 次の世代に引き継げませんね。

プロのオルガニストの中には、弾くことが精いっぱいで、教会の奏楽者に教会音楽を頭でも理解してもらう機会を開く人はまだまだ少ないようです。
せっかく音楽大学で勉強したわけですから、教会に身に付けたものを少しでも持ち込んでいく方が増えたらと思います。

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