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奏楽をするときに技術はなぜ必要か。

2011年5月10日に「信仰か技術か?」http://organistin.blog60.fc2.com/blog-entry-133.htmlというタイトルでブログを書きました。

その時は、信仰も大事だけど技術も大事、信仰と技術を比べるような考え方をする必要はない、という主旨のことを書きました。
今回はこれに関連して、「ではなぜ技術が必要か」ということについて書いてみたいと思います。

教会は自分の能力を競い合う場所ではなく、それぞれの持つタラントン(※)を用いる場所です。

※タラントン:古代ギリシャで用いられた通貨単位。新約聖書内の「タラントンのたとえ話」から、能力や才能を示す意味でつかわれるようになった。

そういう意味では技術だけが先走るような奏楽は礼拝には合わない、ということになりますし、技術のある人だけでなく不十分な人も用いられて良いと思います。

一概に「演奏技術のある人」と言っても、音符を間違えずに一通り弾くことができるレベルから演奏家としてやっていけるレベルまでいろいろな段階がありますし、同じように「技術が不十分」と言っても、やっと音符通りに弾けるレベルから讃美歌や前奏・後奏を弾くにも1曲ごとに何度も止まりながら弾くレベルまでいろいろな段階があります。

今まで様々な教会の礼拝に出席する機会が与えられましたが、教会ごとに奏楽者の演奏技術がまちまちですし、もちろん一つの教会でも個々人によってまちまちだと思いました。

ある教会では、ご高齢の女性が奏楽の任に当たられていますが、讃美歌の伴奏で右手と左手部分で弾いている調性が異なっていたり、右手のメロディーも間違った音をたくさん弾いていたので、今どこを弾いているのか聴いていてわからないことがありました。
独奏であればあまり大きな問題ではないのかもしれませんが、会衆はオルガン伴奏について行って、歌わないといけないので、どこを伴奏してくださっているのかわからないということでは困ります。

他のある教会では、奏楽者が何度も途中で止まってしまい、会衆がオルガン演奏が途切れても歌い続けており、奏楽者が会衆をリードするというよりは、会衆が奏楽者をリードしている・・・という状況でした。

奏楽者は礼拝の中で前奏・後奏を弾いたり、献金や聖餐式で弾いたり、讃美歌の伴奏をします。
その中でも特に讃美歌の伴奏は大事です。

歌による賛美はキリスト自身もしたほどに、歴史的にも宗教的にも大事なことです。
また、会衆が讃美歌を歌うということは、宗教改革以前では一般信徒が礼拝で歌うことが許されていなかったのに、宗教改革後、一般信徒が神の賛美の為に歌が歌えるようになったという、歴史的に見ても意味のある、大事なことなのです。
ですから讃美歌が何度も何度も止まってしまったり、「弾けないから、失敗するのが恐いから」という理由でとても遅いテンポで弾くようではいけないのです。

礼拝の大事な役目を負っているということはそれだけで奏楽者にとって大きな恵みですし、特に子どもたちが巣立っていった年齢の方、仕事を引退した方にとって教会での役割が生活に大きなウェイトを占めて、より恵みを感じられると思います。
しかし技術が不十分で上記のようなことが起こっているようでは残念です。
弾けないなら奏楽をやめるべきだ、という話になってしまっては乱暴ですし、決してそういう方向で話をすすめてはならないと思っています。

解決策の一つは、弾くことが技術的に困難な方の為に、讃美歌練習が早く取り掛かれるようにしてあげられることではないでしょうか。
奏楽者の中には普段仕事をしている方もいますから、奏楽担当日の1週間前に次週の礼拝の讃美歌の番号を伝えられても、その週に仕事が立て込んで練習時間を見つけるのが困難な場合もあります。
そういう若い方たちのためにも、年齢に関係なく、技術的に困難な人の時にはもっと前から讃美歌の番号を決めて知らせていただけると大変助かります。

また、技術が不十分で讃美歌を弾くのが大変だと思っておられる奏楽者さまへご提案なのですが、讃美歌がつっかえつっかえしか弾けないということならメロディーとバスの音だけを弾いてみるのはいかがでしょうか。
讃美歌は4声体で書かれて、一度に4つの音を弾かないといけないことが多いですが、一気に4つの音を読めない、ということでしたら、メロディーとバス(一番低い音)だけを弾いていただいても、立派な讃美歌伴奏になります。

奏楽者は前奏や後奏などを演奏することもとても大事です。音楽そのものは神様から与えられたものですから。
また、ステンドグラスが、文字を読むことの出来ない人に対する「目で見る聖書」と言われるように、教会の音楽も、「音で聴く説教」と言われることもあります。

各地で教会音楽講習会が開かれ、そこでは「説教に合った前奏を選ぼう」「教会暦に合った前奏を選ぼう」などと教えられることが多いと思いますが、技術の不十分な奏楽者の場合、そもそもレパートリーが少ないので、ほんの数曲の中から前奏で弾く曲を使いまわしているということが起こっており、説教の内容や教会暦には合っていない曲を選ばざるを得ないことがあります。
また、技術の不十分な人が一人で奏楽を担当している場合、毎回同じ前奏曲を弾いているのを見かけます。
新しい曲を練習していただきたいのですが、普段の忙しい生活の中では現状維持となってしまうこともあります。

むかしむかし、まだレコードやラジオがなく、家で気軽に音楽を聴くことができなかった時代、教会の礼拝に出席するというのは、音楽を聴いたり、讃美歌を歌ったり、神様が与えてくれた音楽そのものを純粋に楽しむ機能を担っていたと思います。

だから前奏がいつも同じ曲で、聴いている人たちに飽きがくるようでは残念です。

「今までこのスタイルで奏楽をしてきたから、他のものが想像できない」という奏楽者の方に対しては、どうか牧師先生も周りの信徒の方も、他教会の礼拝出席を経験させてあげてくださると良いと思います。
または奏楽応援隊http://organistin.blog60.fc2.com/blog-entry-150.htmlを御教会に呼んでくださり、ほかの方がどういうやり方で奏楽をしているのかをご覧いただくのも良い機会になると思います。

音楽が教会の礼拝にあふれますように祈りつつ。

追記:コメントをいただき、ご返信しました。
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くうさんへ

初コメントありがとうございますv-363
いただいたコメントは管理人しか見られないという設定になっておりますので、書いてくださったコメントを出さずに返信していきたいと思います。

v-22技術が不十分だと奏楽をしてはいけないか?について。

おっしゃるようにそれぞれに応じたタラントンを用いるということが一番大事なことですから、技術が不十分であるからという理由で奏楽をやめなさい、というのはおかしいです。

ただ、タラントンはそのままにしておいてよいということを聖書は言っておらず、神の栄光の為にそれぞれに応じて成長させることの大切さを聖書は言っています。

そういう意味でわたしは、讃美歌伴奏が4声体で、難しくてつっかえつっかえしか弾けないという方への提案として、音を減らしてメロディーとバス音だけを弾くことや、牧師先生への提案として1週間以上前から讃美歌の番号を伝えていただくことを書いております。

v-22召命と書籍代の関連について。

牧師先生が神学の勉強の為に書籍や自分に投資するのと同じように、奏楽者は楽譜代やキリスト教関連の書籍や時間の投資をすることがあります。
お金をいくらかけたかということがそのまま召命の大きさそのものとは言いませんが、信徒の方の中には、奏楽者が、奏楽者としての成長のためにどれだけ時間をかけているか、どれだけ投資しているかご存じない方もいます。
具体的にわかるための例として取り上げました。

v-22ヒムプレーヤーについて。

わたしはヒムプレーヤーそのものも否定はしていません。初代ヒムプレーヤーに比べて最近のは使い勝手も良くなってきていますが、現在でも賛否両論です。息つぎができない、フレーズとして歌詞を歌うことができない、大事な歌詞をちょっと時間をかけて歌うということができない、など。
しかし野外礼拝や奏楽者のいない教会での礼拝では重宝していますからなくてはならないものだと思います。

ただこれは教会ごとの考え方の違いもあるでしょうが、ある奏楽者がヒムプレーヤーを使っている別の教会の夕拝で奏楽奉仕をしても良いですよ、とお声掛けしても、他教会の人の助けを借りるべきではないということで人による奏楽ではなくヒムプレーヤーを使うこともあります。

わたし個人の考えとしては、キリスト教会は教会という礼拝場所は違えど三位一体の同じ神様を賛美しているわけですから、足りない部分は教会を超えて補い合うこともできるのでは?と思っています。

v-22牧師先生との奏楽に関するお話について。

とりあえずわたしの知っている牧師先生たちとは奏楽に関するお話の機会があるときにはこういったことを必ず伝えております。
(もちろんその場の空気も考えずにいきなり奏楽の話はしませんがv-14
牧師先生も正直に、音楽のことは神学校で習っていなくてわからなくて・・・とおっしゃってくださることが多いです。
また、わたしの知っている牧師先生の中にはわざわざブログをチェックして後でコメントを伝えてくださる方もいらっしゃり、先生方の熱心さに感謝しております。
わたしも牧師先生とお話しすることによって、どのようなことが奏楽に求められているのかを知ることができて大変勉強になります。
牧会者が音楽について、奏楽者が神学について学びあって、素晴しい礼拝を作っていきたいものです。

日本の傾向なのかはわかりませんが、今まではどうも宗教と音楽をあまりにも切り離して考えることが多かったような気が致します。
ある牧師先生は、牧師は奏楽の分野にしゃしゃり出ていくべきではないとおっしゃいましたが、わたしとしては牧師先生も一緒に音楽に携わってほしい、演奏の趣味のある牧師先生には一緒に音楽を奏でてほしい、と思いますが・・・

本当は音楽(やその他芸術)は宗教から生まれたものと思うのですが・・・
そういう意味でも各地の教会音楽講習会に、牧師先生や奏楽者ではない信徒の方が積極的に参加してよいのだというメッセージを発信していくことも必要になってくるかもしれません。

v-22奏楽を通した、信仰の成熟について。

奏楽を通して信仰が育っていくことに関してわたしは「信仰か技術か?」http://organistin.blog60.fc2.com/blog-entry-133.htmlの項目で、自分の経験を書かせていただいております。
未信者であった時に定期的に奏楽のお手伝いをさせていただいて、奏楽のことを考えるうちに、教会で過ごす時間が増えていくうちに信仰が育っていった体験です。
また洗礼を受ける前と後を比べて、信仰が確固としたものになったと、割り切れるものでもありませんので、洗礼を受けてクリスチャンになっても信仰に関しては一生育てていくものであると思います。

v-22お願いします。

くうさんも、よろしければこういったテーマに関して御教会の奏楽者や、牧師先生や信徒の方とお話ししてくださいませんか。
奏楽・教会音楽についてもっと身近なものとして意識してくださる方が増えるのではないかと期待しております。

これからもご意見ありましたらお伝えいただけたらと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

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くうさんへ

くうさん、コメントありがとうございますe-348

奏楽者と一言で言っても、奏楽を始めたばかりの方から音大でオルガン科を卒業した方まで、色々な背景の方がいらっしゃるから、一言でまとめて話すことには難しさを感じます。

しかしそれぞれの段階に応じた問題がありますので、奏楽者の集まりや教会ごとに話の出来る場ができると良いですねe-287

始めたばかりの方は、奏楽とはどのくらい大事なご奉仕なのか、そのための準備や、讃美歌を止まらずに弾くための工夫などがあります。

音大出身者だと、教会へ足を運んでくださる方が増えればという気持ちで演奏会を提案するわけですが、かと言って完全にオルガニストの持ち出しになるような活動では続きませんから、せめてかかった経費(オルガニストの交通費や礼拝堂使用料など)だけでも戴きたいという単純な思いで、演奏会を続ける主旨にご賛同いただける方に、演奏会後に献金を集める形式の演奏会を提案すると「教会はお金儲けの場所ではない」と言われて演奏会自体を開かせていただけないことなどもあります。
教会から来る演奏会依頼の場合には少ない額であっても謝礼をいただけることがありますが、金額はまちまちです。準備にかかった時間や交通費などを考えると割に合わない額であることが多いですがオルガニストはそれでも神様にお返しできれば、教会のためになればとがんばっています。

牧師先生でも小さい教会だと生活に十分なお給料がもらえないこともありますが、とりあえずはお給料が出て当然なわけです。
しかし奏楽者、たとえそれが、牧師が神学校へ行くのと同じようにちゃんと大学で音楽の勉強をし、牧師が書籍にかける金額と同じような金額で楽譜などの書籍に費やした音大出身者であっても、教会での演奏会支援のための献金さえ集めるのはいけないことで、演奏会のためにオルガニスト側の持ち出しは当然だという考えを持たれてしまうのはどうなのかなあと思います。
これは教会にお金があるかどうかという問題以前に、オルガニストは牧師と違うのだからお金をもらう必要はないと考える意識の問題です。

音楽は神様から祝福された贈り物で、キリスト教にとってはとても大事なものです。
その継承・発展がしやすい環境になるように祈っています。

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