スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

奏楽者としての召命

以前ブログで「奏楽者はだれが育てる?」というタイトルで長々と書きました。
http://organistin.blog60.fc2.com/blog-entry-149.html

ありがたいことに、ブログをご覧下さった方、特に奏楽者・プロのオルガニストの方々からは「共感できる」とおっしゃっていただきました。
(そしてまたわたしは調子に乗ってしまうのね

さてこの内容と少し関連して、「奏楽者の召命」ということを書かせていただけたらと思います。

簡単に、Wikipediaで召命について調べてみると、「神の恵みによって神に呼び出されること」「神に献身すること」という意味が書かれています。
よく、牧師になりたいという意志が与えられた時に「召命を受けた」と表現することがあります。

「奏楽者のくせに牧師と肩を並べるつもりなのか」と言われた奏楽者の話を「奏楽者はだれが育てる?」↑というページで書きましたが、奏楽者の大変さについて理解を求めるために、あえて申し上げたいのは「ちゃんと奏楽者としてやっていこうという召命を得られた人は、奏楽者としての成長の為に、牧師に匹敵するくらい勉強もするし毎回の礼拝準備も大変である」ということです。

これは牧師と肩を並べるのが良いとかいけないという話ではなく、実際の準備としてどのくらい大変なのか、という点に関して、奏楽者として召命を得て極めていきたいと思う人にとっては書籍代(楽譜や教会音楽関連の書籍、神学関連の書籍など)に費やすお金は牧師の書籍代にも匹敵します。

大人になってから奏楽者としての召命を得たとしても、小さいころからピアノやオルガンを習っていた時間まで数えると、奏楽者としてやっていくまでに実質何時間どころか何年という単位で練習してきたかを数えていけるかもしれません。
特に音楽大学オルガン科卒業者が費やした学費、書籍代を考えると・・・どうでしょうか?

技術がある程度備わってスイスイ弾いているように見える奏楽者を見ると、その大変さが周りに伝わらないと思います。今、目の前で讃美歌を何度もつっかえながら弾いている人の方が、準備が大変そうだなというのは目に見えてわかるわけですが、だからといってスイスイ弾ける人が苦労をしなかったわけではなく、つっかえながら弾いている人よりもたくさん陰で練習したから弾けるようになったわけです。
才能があったから、ではなく、どれだけ時間をかけたかという努力の話です。
ちょっとスイスイと弾けるようになるまでに費やした時間や書籍代、レッスン代など、見えない部分にも目を向けていただけたらと思います。

礼拝に直接かかわる奏楽者も、牧師の召命と同じように、奏楽者としての召命を得ることがある、ということを知っていただけたらと思います。

COMMENTS

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。