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キッチンの片づけと断捨離 その後

キッチンでわたしが使わない食器類はとりあえず廊下に置いておきました。
廊下は二つあるのですが、めったに通らない廊下があるので、そこに置きました。

昨日は新婚の友人夫婦が遊びに来てくれたので、その廊下に置いた食器を見てもらって、必要なものを持って行ってもらうことになりましたが、それでもまだまだたくさんの食器が残っています。
でも、いつまでも廊下に置いておくわけにはいかないので、パンパースの丈夫な段ボールに入れることにしました。
ところでおむつしか入れられていないのに、なんでパンパースの段ボールってあんなに丈夫なんでしょうね?
解体するときに結構力が必要です。

今までは食器棚の奥と手前に食器が置かれていて、奥の食器を使うためには手前の食器をどけないといけなかったのでたいへん使い勝手が悪くなっていましたが、今はすぐに必要な食器が取り出せるようになりました。

さてこの断捨離の波に乗って、ついに汚部屋に手を出すことにしました。
三年前、この家のおばあさん(私の姑の姑)が亡くなったときに、遺品整理を仰せつかった私が手を付けた部屋で、押し入れから大量の布団が出てきた場所です。
使えない布団は、大きい車で名古屋の破砕工場に持っていき、まだ使えそうな布団はクリーニングに出し、そのあと布団を必要としている知人一家に送りました。
クリーニング店の人が、「なんでこんなに布団を持っているんですか」って聞いてきたほどの量です。
押し入れからは昭和レトロなかわいいホーロー鍋が新品のまま出てきて、私が使っています。

この部屋は窓のない部屋で、人がくつろげる部屋ではありませんので、ここ三年の間に「今必要のないもの、片付ける場所のないものはとりあえずここへ・・・」となって、物がどんどんため込まれてしまいました。
一番の原因は私の実家の片づけのときで、持ち物をこの家に持ってきたときの一時置き場にしてしまいました。
ほこりがたまっているわけではないので汚部屋ではないかもしれませんが、モノがあふれてしまったので、私から見ると汚部屋と言わざるを得ない状況になってしまいました。

まだまだ時間がかかりそうですが、今日は45リットルの可燃ごみ1袋分出せました。

私は夫の実家に住んでいますが、亡くなったおばあさん、亡くなった義父、入院中の義母のモノを捨てる作業は私なので大変です。
名古屋市のごみの分別に詳しくなりました。
義母は亡くなった義父の持ち物を捨てられなかったので、そのまま残っています。

よく遺品整理で遺族が「おばあさんはどんなものを残してくれたんだろう?何かお宝でも出てくるといいな。」なんて思いながら遺品整理を始めるけれど、実際に出てくるものは空箱、缶、ねちゃねちゃになったカバン、湿気やカビの匂いのする時代遅れで誰も着られないような服しか出てこなかった、なんて話を聞きますが、うちもそんなもんです。

特に家が代々続いているような場合は、そんながらくたも増えていきます。

昔は嫁姑の関係が厳しかったので、年老いた姑が施設に入って、明らかに家には帰ってこられないのに、姑が死ぬまでは嫁が姑の持ち物を捨てるなんてことはありえないと思われていたかもしれませんが、私の義母もそんな感じでした。
おばあさんの子どもたちの目もあるので、その人たちから、「死んでいない人のものを何で捨てるんだ」って言われちゃう、と姑は思っていました。

でもこれって結構怖いというか、私の義母を見ていて思ったのですが、いざ自分が物を捨てる権限が与えられたとき、物を捨てる気力がすっかりなくなっているんですよ。
体力がなくなったから、という理由もありますが、長年たくさんのものに囲まれて暮らしてきて、それが普通になって、何を捨てたほうがいいのか判断がつかなくなったという理由が大きいように思います。

ところで断捨離を始めてから、ほかの人は断捨離をどうやっているんだろう?と興味が出たのでネットサーフィンしていたら、面白いブログを発見したので載せておきます。
毎日記事が更新されていて面白いです。ご主人はタメコミアンだそうです。
筆子ジャーナルhttp://minimalist-fudeko.com/

この人は本も出しているそうですね。
名古屋ご出身だそうで。
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キッチンの片づけと断捨離

結婚○年を過ぎ、やっと自分の使いやすい台所がどういう台所なのか、はっきりしてきたような気がします。

わたしは結婚初日から夫の実家で姑と同居、そのため、イチから台所用品を買う必要はなかったのですが、小料理屋ができるほどの大量の食器と、使って使って使いまくって古くなった道具類に囲まれていました。

最初は台所仕事にそんなに興味がなかったのでそれでもいいかと思っていましたが、
結婚後も台所仕事に興味が持てなかった理由の一つとして、「自分がときめく道具と自分が動きやすい収納になっていなかったこと」が挙げられると思います。
今思うと、自分だったら絶対に「そんなことはしない」という状況が転がっていました。

たとえば食器棚の前に低いテーブルが置いてあって、その上に乾物が置かれていました。
→食器が取り出しにくかったし、低いテーブルの近くを歩くたびに膝を打ってしまいました。

別の食器棚の下のほうには封を切っていない砂糖のストックや乾物が押し込まれていました。
→砂糖は基本的に消費期限がありませんが、上白糖が黄色く変色していてぞっとしました。

台所仕事に興味のなかったわたしでも、いらないものは処分しようと思い立ったことがありました。
まずは冷蔵庫。
姑が食べるのを一度も見たことのなかったニンニク団子を勝手に捨ててしまいました。
そうしたら、姑に叱られました。「ニンニク団子を食べているのを見たことがなかったけど?」って言うと、「忘れたころに食べていたんだよ!」と言い返されました。忘れていたなら食べていなかったと思うけど?と心の中で思いました。
そんなコントみたいなプチ喧嘩がありましたので、これからは姑に聞いてから捨てようと思いました。
でも、姑は何も捨てさせてくれませんでした。
古くなったタッパー、古くなった空き箱・空き缶、焦げ付きのひどい鍋、など、何もかも捨ててはいけませんでした。
わたしと同居している間、姑はほとんど料理しなかったんですが、それでも台所は彼女の聖域だったんです。

姑が入院して、家に戻れなくなったのを機に、消費期限が切れたものから使ったり、食べられないと判断したものは捨てるようにしました。
あとは重複しているもの。たとえば同じサイズの行平鍋がいくつもありましたが、汚れのひどいものは捨てて、良い状態のものだけを残すようにしました。

食器類はシミや欠けのあるものがたくさん出てきたので、それは処分しました。
あと、夫もわたしも日本酒は飲みませんので、もしお客さんで飲む人が来たらと想定しておちょこは少しだけ残して後は処分しました。

「実家の片づけが親によって妨害される」というのはよく耳にしますが、姑との同居ビフォーアフターを通して、若い人の目にはガラクタに見えるような空き箱さえ、お年寄りは捨てられない、というのを実感しました。

今でもわたしにとって不必要な食器類がまだまだあって、処分したいのですが、状態が良いので、どなたかもらってくれる人を探している最中です。
とりあえず自分がいらないと思う食器は別の場所へ移動しました。

ここ数年、南海トラフ巨大地震のことが言われていますし、東日本大震災や熊本の震災を通して、食器棚いっぱいに高いところにまで食器を積んでおくことは、いざというときに凶器になると思っていました。

そのため、最近は食器やカトラリーは、わたしにとってときめかないものを処分することをさらに進めようと思っています。

キッチンツールは、収納からあふれないだけの数にとどめるように改善できました。
フライパンも自分が使いやすいと思うものを使っています。
三角コーナー、洗い桶は撤去しました。

そのおかげで、料理や片付けがしやすくなり、お総菜を買うことはほとんどなくなりました。
保存料や食品添加物、農薬についても興味を持つようになり、買うときには気を付けるようになりました。

片付け・断捨離をすると、小さなことですが、生き方が変わることを実感しています。
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