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なぜ奏楽の奉仕だけは頼まないのか?

ずいぶん前にこんなことを書いたことがあります。

http://organistin.blog60.fc2.com/blog-entry-133.html

ここでは教会に所属したばかりの人に最初の1年は奏楽奉仕をさせない、長年奏楽をしている人がそう決めている教会があることについて触れました。
また、受洗していない人に奏楽奉仕をさせないことについてもほかのところでも何度も書いてきました。

そのことについてご覧くださった方がコメントを下さったので、ここでお答えしたいと思います。
その方のコメントをすべて載せず、一部取り上げてお答えします。

ご意見お寄せくださり、感謝していることを先に申しあげます。

その方は、求道者だった時からどのような奉仕にかかわってきたかを書いて下さった上で、奏楽までさせるのは大変なことが多いので、奏楽させないこともありではないか、という内容です。

>「その人の信仰が安定するのを待ってあげる」という意味で、奏楽を、受洗していないならさせない、あるいは、受洗してから1年たたない人は奏楽させない、という配慮ならば、大いに納得できるものがありますね。
求道者というものは、神様に会いたいばかりに、毎週のように(熱心に)教会に通ってきます。しかし、周囲のベテランの教会員は、そういう人は、毎週くるので、「熱心なかただ」と思ってしまい、どんどん教会での役割を与えていってしまいがちです。たとえば、バザーの手伝いとかならまだかわいいですが、そのうち、わたしのように、教会学校のスタッフを
やらされたり、わたしは受洗前から青年会の会長をやらされましたね、それから、奏楽をやらされたり、、、。
しかし、当時、求道者であったわたしとしましては、純粋に、信仰を求めて、教会に行っているだけなのに、つぎつぎといろいろな役を与えられて、(実際に当時の牧師に相談いたしましたけれども、)両手、両足をみんなからひっぱられて無理やり前へ持っていかれるような感じがあり、「そんなに速く歩けないよ~」という感じでした。
ですから、受洗していない人に奏楽させない、というのもそういう配慮ならば、よくわかりますね。

そうですね、わたしもそういう配慮があってもよいと思います。
でも不思議なのは、今までこのブログでこういうテーマを取り上げるに至るきっかけとなった教会では、毎週教会に来ていてまるで教会員であるかのようになった求道者、洗礼を受けて間もない人に対して、青年会(青年会長)、日曜学校教師、日曜礼拝の奏楽をお願いするのに(中には日曜学校奏楽も求道者にお願いしない教会もありますが)、主日礼拝での奏楽だけは「最初の一年は奏楽させない」のです。
なぜでしょうか?
日曜学校の奏楽はやってもいいけど主日礼拝ではさせないという考え方を持っている人がいますが、それは日曜学校の礼拝は正式な礼拝とは認めていないという、無意識の考えが反映しているのではないでしょうか?
他の理由として、あまりはっきり言うのは角が立ったりボス奏楽者を傷つけてしまうことになるので明るみに出さないことが多いのですが、あるボス奏楽者の場合は、自分が音楽の専門家ではないことをひそかにコンプレックスに思っていて、音大オルガン科出身の人が受洗して、周りのみんなは奏楽をしてもらうことを当然期待するのですが、そのボス奏楽者は自分の立場が危うくなると心配して弾かせないということです。とくにこういう人の場合、仕事をしていないなど、社会との接点がなく、教会だけが自分の居場所になっているときにその傾向が顕著になります。
奏楽はどうしても技術が見えやすい奉仕で、人の目にわかりやすく映るためにこういうことが起こるんだと思います。
先の例に出しましたそのボス奏楽者のほうが、音大オルガン科出身の受洗者よりもウン十年長くクリスチャンやっているのに、自分を守るために実力のある人を認めようとしない。
信仰の弱さが目立ってしまって残念です。人間の弱さといってしまえばその通りですが。

だから以前のブログで

「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」(マタイ20:16)

と書いたのです。

技術的に問題のない人にとってはたとえ毎週奏楽することになったとしても全く負担にもならないどころか、神様へ奉仕している喜びが大きいことが明らかでも、奏楽をさせないことは適切でしょうか?

自分の立場を守ることに目がくらんで、他人が人の信仰の度合いを測ったり、「奏楽奉仕をお願いするのは新来者にとって負担になる」と決めつけたりする必要があるでしょうか?
(それなのに、自分の立場が危うくならない奉仕(たとえば青年会の奉仕、日曜学校教師の奉仕など)はどんどん頼んでくるのです。)
奏楽奉仕が負担になるかどうかは、頼まれた人が自分で決めることです。嫌なら断ればよいだけのことです。
他の奉仕でもそうだと思います。
わたしも今の教会に所属した最初のころは、奏楽奉仕、日曜学校教師、青年会奉仕など、いろいろ頼まれましたが、自分にとって興味のある奉仕や、負担にならないだろう奉仕だけ引き受けさせてもらいました。
(いきなり全部はどう考えても無理だと思ったので。)
不思議なのは、先にも書きましたように、いろいろな奉仕はすぐにお願いされるのに、教会音楽を専門機関で勉強して知識のある人・弾ける人に対して主日礼拝の奏楽の奉仕だけは最初の1年頼まない教会があるということです。
明らかにふさわしい人が来たのに、他者が弾かせないと決める必要はないと思います。
むしろ、専門の知識や技術のある人が来たら、長年奏楽していようが、「オルガンを教えてください」という姿勢を持つことのほうが、教会的ではありませんか?
受洗していない人・受洗して間もない人に奏楽奉仕が負担になるだろうと考えるのに、ほかの奉仕はどんどん頼んでくるのは納得できないなあと思います。
そもそもどの奉仕をするかは本人で決めたらよいと思います。

この度はご意見くださいましてありがとうございました。
またのご意見お待ちしております。
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